|
「石田さんのブログを読んで、彼女の真摯な思いに涙が止まりませんでした。自分を振り返り、成長のために向き合う姿勢に心打たれました。彼女のこれからの活躍にますます期待が高まります。」
1 名無し募集中。。。 :2023/08/28(月) 15:44:18.56 0
モーニング娘。'23石田亜佑美、夏まゆみさんと12年前の出会い回顧「慢心していた私の鼻を折ってくれた」 涙で決意表明
https://www.oricon.co.jp/news/2292530/
https://news.yahoo.co.jp/articles/3536790457b3a9350a9dcebb536b9e36b914c5f4
6月21日に61歳でがんのため死去した・ダンスプロデューサーの夏まゆみさんの『魂に出会う会(お別れの会)』が28日、東京・ホテルニューオータニ 芙蓉の間で行われた。モーニング娘。'23を代表して、石田亜佑美が涙ながらに思いを語っていった。
石田は「夏先生、おはようございます。先生と私は2011年のオーディションで初めて出会いました。その時、慢心していた私に『もっと広い世界を見ることになる』と、私の鼻を折ってくださりましたね。それからずっと、もっとうまくなれる、もっと表現できると試し続けて、2022年に先生が審査員を務められた番組に出演させていただいた時、すごくすごく褒めてくださりましたね。『見ていてワクワクした』と、一番うれしい言葉をくださりました」と回顧。
続けて「モーニング娘。として歩んできた道が間違っていなかったと、すごくうれしかったです。自信にもなりました。これからも限界はないんだと、ブレイクスルーし続けるモーニング娘。を、どうか見守っていてください。夏先生、大好きです。本当にありがとうございました」と呼びかけていた。
同会の冒頭では、夏さんの足跡などを紹介。今年4月24日、回復を目指して入院し、当初は外出・外食も許されていたようで、5月9日に入院先近くの公園で撮影した生前最期の写真が公開された。6月6日に一時帰宅し、書斎のカレンダーを自身でめくるなどしていたが、同月21日に息を引き取った。最期のテレビ出演で着ていた衣装・履いていた白の厚底スニーカーが、棺に入れられたという。
夏さんは、1993年、ニューヨークのアポロシアタにて日本人初のソロダンサー出演。98年、冬季長野オリンピック閉会式で老若男女数万人が一度に踊るための振り付けを考案・指揮する。99年、モーニング娘。の「LOVEマシーン」では老若男女だれもが楽しめる振り付けが話題を呼ぶと国民的ヒットソングに。マネをする人が続出して社会現象にまでなる。ダンス未経験者の多いモーニング娘。AKB48の「育ての親」として知られ、現在のアイドル文化の基礎を作った。
近年は、テレビのダンス企画やダンス大会の審査員も積極的に務める一方、「自身の体験等を一人でも多くの人に伝えることで日本を元気にしたい」との特別な思いから、治療と並行して原稿執筆をつづけ、3月に刊行した『人はいつでも、誰だって「エース」になれる! 心とからだが輝く72の言葉』が遺作となった。
夏まゆみさんの『魂に出会う会(お別れの会)』に出席したモーニング娘。'23・石田亜佑美
(出典 contents.oricon.co.jp)
(出典 img.hmv.co.jp)
https://www.oricon.co.jp/news/2292530/
https://news.yahoo.co.jp/articles/3536790457b3a9350a9dcebb536b9e36b914c5f4
6月21日に61歳でがんのため死去した・ダンスプロデューサーの夏まゆみさんの『魂に出会う会(お別れの会)』が28日、東京・ホテルニューオータニ 芙蓉の間で行われた。モーニング娘。'23を代表して、石田亜佑美が涙ながらに思いを語っていった。
石田は「夏先生、おはようございます。先生と私は2011年のオーディションで初めて出会いました。その時、慢心していた私に『もっと広い世界を見ることになる』と、私の鼻を折ってくださりましたね。それからずっと、もっとうまくなれる、もっと表現できると試し続けて、2022年に先生が審査員を務められた番組に出演させていただいた時、すごくすごく褒めてくださりましたね。『見ていてワクワクした』と、一番うれしい言葉をくださりました」と回顧。
続けて「モーニング娘。として歩んできた道が間違っていなかったと、すごくうれしかったです。自信にもなりました。これからも限界はないんだと、ブレイクスルーし続けるモーニング娘。を、どうか見守っていてください。夏先生、大好きです。本当にありがとうございました」と呼びかけていた。
同会の冒頭では、夏さんの足跡などを紹介。今年4月24日、回復を目指して入院し、当初は外出・外食も許されていたようで、5月9日に入院先近くの公園で撮影した生前最期の写真が公開された。6月6日に一時帰宅し、書斎のカレンダーを自身でめくるなどしていたが、同月21日に息を引き取った。最期のテレビ出演で着ていた衣装・履いていた白の厚底スニーカーが、棺に入れられたという。
夏さんは、1993年、ニューヨークのアポロシアタにて日本人初のソロダンサー出演。98年、冬季長野オリンピック閉会式で老若男女数万人が一度に踊るための振り付けを考案・指揮する。99年、モーニング娘。の「LOVEマシーン」では老若男女だれもが楽しめる振り付けが話題を呼ぶと国民的ヒットソングに。マネをする人が続出して社会現象にまでなる。ダンス未経験者の多いモーニング娘。AKB48の「育ての親」として知られ、現在のアイドル文化の基礎を作った。
近年は、テレビのダンス企画やダンス大会の審査員も積極的に務める一方、「自身の体験等を一人でも多くの人に伝えることで日本を元気にしたい」との特別な思いから、治療と並行して原稿執筆をつづけ、3月に刊行した『人はいつでも、誰だって「エース」になれる! 心とからだが輝く72の言葉』が遺作となった。
夏まゆみさんの『魂に出会う会(お別れの会)』に出席したモーニング娘。'23・石田亜佑美
(出典 contents.oricon.co.jp)
(出典 img.hmv.co.jp)